スポンサーサイト

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  •  …この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
  • Edit
  • TB(-)|
  • CO(-) 
 
 

新聞記事から

新聞記事から

ご無沙汰しています。

最近はブログの更新もやる気が起きなくてこでの別ブログを更新していました。
原点回帰といいますか、あちらは誰も来ないせいぜい10人も来れば良い方で、書きたいこと言いたい放題です。
ご存知の方もいらっしゃいますが。

実は17日に産経新聞で《「自分だけを死刑に処せ」とGHQに挑んだ岡田中将の“法戦”…部下19人守り絞首刑に、笹川良一は「あっぱれな男」と激賞した》のタイトルを目にしました。
とってもいい内容だったので、メモ帳に貼りつけておいたのですが、向こうで管理ページに入れません。
最近一日一回入れたらいい方でエラーになったり文字化けで入れなかったりと変な事ばかり起きています。

この記事を残しておきたかったのでこちらには入れるかなと心配しながら来てみたらすんなりと入れました。
無いとも言われず、エラーも出ず普通に。これが当たり前でしょと思いながら。。。
で、このままこちらでアップすることにしました。


http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140917/wlf14091707000001-n1.htm
上) 「自分だけを死刑に処せ」とGHQに挑んだ岡田中将の“法戦”…部下19人守り絞首刑に、笹川良一は「あっぱれな男」と激賞した
2014.9.17 07:00 (1/3ページ)
岡田資中将


「65周忌」に寄せて


 65年前の9月17日、軍事法廷で米国と真っ向から対峙した一人の軍人が処刑された-。連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官に直談判した今村均陸軍大将について、先月の「銀幕裏の声」で紹介したが、もう一人、GHQに“法戦”を挑んだ日本人がいる。岡田資(たすく)中将(1890~1949年)。「全責任は最高司令官の自分にある。私一人を死刑に処せ」と訴え、部下19人の命を守り、昭和24年9月17日、巣鴨で処刑された。岡田の孤高の戦いを描いた映画「明日への遺言」(平成20年、小泉堯史監督)の製作時に取材した関係者たちの声から、岡田中将の人生を振り返り、65周忌を偲びたい。


だらしなかった軍幹部が多かった中で


 「日本に来て以来、初めて真の武士道に触れた思いがした」。マッカーサー最高司令官が、こう語って敬意を表した今村大将の人生を綴った「『三畳小屋』の伝言」(朝野富三著、新風書房)には、こんな証言が紹介されている。

 「こういうところにくると人間の地金が出るのである…。ほんとうに尊敬を受けた人として知られた人は今村均元大将と、死刑になったが元東海軍司令官の岡田中将であった」。これは大蔵官僚でA級戦犯として巣鴨プリズンに入り、戦後は衆院議員、法務大臣を歴任した賀屋興宣氏の証言だ。賀屋氏は、軍幹部としてかつて偉そうにしていた者たちが、刑務所でいかにだらしなかったかに触れ、その対極にいた2人の男の名を挙げた。

 また、岡田中将に対しては、巣鴨プリズンに戦犯容疑者として収容されていた、後の日本船舶振興会(現日本財団)会長、笹川良一氏のこんな証言も残されている。「死刑が決まって平然と過ごしていたのは岡田中将ただ一人だった。巣鴨プリズンでは卑屈になる軍人が多い中、岡田中将は散歩の際も、うなだれることなく、顔を上に挙げて歩いていた」という。「あっぱれなり岡田中将。全く頭が下がるほど、立派であった」と笹川氏は語る。


〝戦勝国の論理〟に1人立ち向かう


 岡田中将とはどんな軍人だったのか。

 名古屋の第13方面軍(兼東海軍)司令官だった岡田中将は名古屋空襲を行った米軍爆撃機B29搭乗員の処分をめぐり、B級戦犯として投獄される。敗戦で自信と誇りを失い、法廷裁判で何も主張できない被告が多い中、岡田中将は、戦勝国の論理で一方的に裁こうとする米国の裁判官や検事と真正面から対峙、米軍の非人道的な無差別空襲の罪を認めさせようとした。

自分の“罪”よりも正論で「B29…民間人を狙った空爆は国際法違反である!」


2014.9.17 07:00 (2/3ページ)[westライフ]


 岡田中将は戦犯裁判そのものの違法性を訴え、「これは“法戦”である」と自らに課し、たった1人で戦勝国の米国を相手に争う覚悟を固めていた。

 冒頭で記述した、岡田中将らとともに巣鴨プリズンで過ごした証言者の言葉にあるように、部下に戦犯容疑の罪を負わせようとしたり、事実を隠蔽し責任逃れに奔走したりする戦犯は少なくなかったという。

 こんな状況でも岡田中将は唯一人、米国の戦争責任を問うと同時に、部下19人の命を守る覚悟を固め、法廷で、「すべての責任は自分にある。自分だけを死刑に処せ」と終始主張し続けたのだ。

 「米軍による民間人を狙った無差別爆撃は国際法違反である」。ひるむことなく、法的正当性を論理的に主張、部下をかばうその毅然とした態度に、米国人弁護士だけでなく、米国人検事も動き出す。彼らは嘆願書を出したり、「終身刑が相当である」とする意見書を出すなどし、岡田中将の死刑執行の免除を求めたという。しかし、死刑判決は覆ることなく、絞首刑による死刑が執行された。マッカーサーは戦勝国の意地として、岡田中将の主張を認めるわけにはいかなかったのだといわれている。


「母さんを頼む」聞きたくなかった遺言


 この岡田中将の「法戦」は、映画「明日への遺言」として平成20(2008)年に公開された。

 映画公開前に岡田中将の長男、陽(あきら)さんを取材した。

 「死刑判決が言い渡される前から、すでに父が死を覚悟していたことは家族全員が知っていました」と陽さんは明かす。

 法廷で死刑判決を言い渡された直後、岡田中将は傍聴席にいた妻に向かって力強くこう言った。

 「本望である」

 陽さんは死刑宣告を受けた父との巣鴨での最後の面会の会話の様子を思い出しながら静かに語り続けた。 取材の終わりに、陽さんがつぶやいた言葉は、今も脳裏に焼き付いて離れない。

 「父は最後に私にこう言いました。『母さんを頼む』。こんな言葉を聞きたい息子なんていません。それは簡単に背負えるものではなかった…」。当時、陽さんはまだ27歳だった。

 取材を終えて帰る際、車いすの陽さんを残し、玄関まで見送ってくれた陽さんの妻、純子さんに声をかけられた。「今日、主人が語ったことは初めて聞く話ばかりでした。自分の父や戦争の話は私たち家族に決して語ろうとしませんでしたから…」

2014.9.17 07:00 (3/3ページ)[westライフ]


 取材中、純子さんは陽さんから少し離れたところで背を向けて座り、しかし、じっと耳をすまして陽さんの話を聞いているようだった。「なぜ隣に座って聞かないのだろうか?」と取材中、何度も不思議に思ったが、その理由が氷解した。

 陽さんは終始、朗らかに話していたが、本当は二度と思い出したくもない、胸が張り裂けそうに辛く重い記憶を甦らせていたのだ。

 平成21年11月26日、陽さんは東京都内の自宅で天寿を全うし永眠した。86歳だった。

長男、岡田陽さん 岡田資中将役を藤田まことさん

左が長男の陽氏、右は藤田まことさん


映画「明日への遺言」

明日への遺言 投稿者 retudou

人間だもの、色々な人がいます。
が、恥ずかしげもなく命乞いをする人がいればこんな風に毅然として臨む人もいたということですね。

真面目に更新しなければですね。
留守の間に来てくださった皆様ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

急に肌寒くなってきました。^^;
風邪など召されませぬように

スポンサーサイト
Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  •  …この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
  シークレットコメントにする (管理者のみ表示)

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif

同じカテゴリの記事が一覧表示されます
同じタグの記事が一覧表示されます
更新月別の記事が一覧表示されます
キーワードで記事を検索
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。