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ちょっと良い話

ちょっと良い話

殺伐とした世の中にちょっといい話。
久し振り色々と読んでいて、うっすらと涙がこみ上げてきました。
私は両親を亡くしていますが、未だにあのときああしてあげればよかったとか、何故もっと話を聞いてあげなかったのかとか、きっと尽くしていても後悔しか残らないのではないでしょうか?

いえることは、私の場合は本当に足りなかった・・・他の人の半分にも満たなかったのではないでしょうか。
後悔の念ばかりが、でもそんなに長く生きる事はないと思うので、向うへ逝ったら三つ指突いて許しを請いたいと
思っています。

ちょっといい話 『ありがとうと伝えたい…母への思い』 志賀内泰弘

今日は、以前ご紹介した埼玉県北足立郡伊奈町の 宮本忠行様からの投稿を紹介させていただきます。

*   *   *   *

人生で起こることは何か大切なことを気づかせて くれるために起こるようです。

人生で最も大切なことを両親から教えられました。 父も母も今はもういませんが、 大切なことを教え残してくれました。


父からは『あり方』でした。 みんなから愛されていた父に、 最も愛されていたのは自分だったということがわかったとき、 父が亡くなったあとも後から後から涙が流れてきました。

それから6年後、桜が舞う季節 。病院主催のお花見会に参加するため、 病室から小さくなった母を車椅子に乗せて近くの神社に足を運んでいました。

母が34歳の時に難病のベージェット病が発症した。 母がずっとつけていた日記には、ほとんど毎日のように微熱や頭痛があると書かれていた。

妹と一緒に、その日記を見ていて辛くなった。 無理をすると発症するからと医者には言われていたようだ。

子供たち二人が学校から帰ってきたらお腹を空かさないように、 いつもお菓子が買ってあった。お菓子はいつも妹と半分にして分けた。

看護婦をしていた母にとって、毎日のようにお菓子を買っておくことだけでも大変だったはずだ。

神社には桜が舞っていて、ポカポカと暖かく気持ちが良かった。看護師の方たちが おいしいおでんを振舞ってくれている。

よく煮込まれた大根はとろとろでした。看護師さんからスプーンが手渡された。 今日は、母にもちょっとだけなら食べさせても良いという。

病気のため、母の身体がだんだんと動かなくなっていった。 ついに身体に必要な栄養を毎日3度の点滴で補うようになっていた。

幼い頃に大火傷を負い、頭皮に後遺症が残った母のこれまでの人生は 辛かったことのほうが多かったはず。 いったい何が楽しかったんだろうかと妹と話したことがあった。

人を傷つけることは決して言わなかった。 誰に対しても優しかったのは人の痛みがよくわかったからなのかもしれない。

母の病気が進行するにしたがい、身体の自由が利かなくなった母の身の回りの お世話をすることが多くなっていった。 そのうち、母を幼い子供のように接するようになっていた。

「おでんが欲しい?」

と聞くと 食べたいという。 久しぶりに人間らしく口からおでんを 食べさせてあげられることに嬉しさを感じた。

おでんを小さく小さく刻んで、スプーンの上にのせ、口元に運んで食べさせた。

「おいしい」

母が本当に美味しそうに嬉しそうなので、自分も本当に嬉しくなり、 嬉しくて、嬉しくて涙がにじんできた。

口元にスプーンでおでんを運ぶとき、 母が自分が赤ちゃんの時に今の自分が 母におでんを運ぶのと同じようにスプーンで 口元に運んでいたときの映像が入ってきました。

子を思う母の愛情がポンと心に入ってきました。 時を越えて、母の愛を受け取った瞬間でした。

そこには、愛しかありませんでした。 子が存在しているだけで愛おしく感じる心。 自分のすべてを注ぎ込む愛情がそこにはありました。

母の無償の愛を感じて泣き崩れました。

おでんをのせたスプーンを口元に運びながら無理に微笑もうとすると余計に涙が溢れます。 こんなにも愛されていたんだと思うと涙が止まりませんでした。

もっと親孝行すればよかった。 もっと作ってくれた料理をおいしいって言ってあげればよかった。

それなのに、こんなにもこんなにも愛されていたんだ。 そう思うと涙があふれて止まりませんでした。

「こんなに素晴らしい行事をしてくださり、  本当にありがとうございました」

感謝の手紙を院長先生宛に出しました。 心から接してくれる看護師さんたちを院長先生に褒めていただきたかったのです

それ以降、母は友人から呼ばれていたように看護師さん達からは、 「あっこさん」と呼ばれるようになっていました。

母の最期の友人たちでした。 『人には優しくしよう』 これが、母から学んだことです。

それから数年後、最愛の妹にガンが見つかった。 聞いたとき、目の前が真っ暗になりました。 目を開けているのに何も見えませんでした。

祖父母、両親をすでに亡くしている自分にとって、 たった一人でこの世に残されるような虚無感を感じたのです。

全く現実を受け入れられませんでした。手術は成功しました。 いまは、再発の可能性がなくなる5年が無事に過ぎればと思っています。

心の底から気がついたことがあります。

それは、

人生で一番大切なことは、 一番大切なことを 一番大切にすること。

好かれていない人のご機嫌を取るより、 自分を愛してくれている人のために時間をもっと使おう。

でっかいことをしようとするよりも、 いつも見守ってくれている人が喜ぶことをするために時間をもっと使おう。

ありがとう、ごめんなさいがちゃんと言える人になろう。 人に迷惑だけはかけない人生にしよう。

嬉しいときには嬉しいとちゃんと伝えよう。 愛している人に愛しているとちゃんと伝えよう。

人生で一番大切なことだから、 親が子供に一番最初に教えることなんだと心に落ちます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それにもう1つ。
誰もが知っている物語の悲しい真実です。
最後の部分を引用させていただきます。
そしてそれが意味する物を考えていただくきっかけになればと思っています。
引用ここから↓ ↓ ↓

最後にひとつ、これをお読みいただいた方に申し上げたいことがあります。
生きたハチは、剥製となり、国立上野科学博物館に展示されています。

ところがこのハチの剥製、なぜか国立上野科学博物館の動物コーナーに展示してあり、ネームプレートには「秋田犬ハチ」と書いてあるだけです。
以前は、きちんと由来の説明書きが添えてあったのです。
けれどいまでは、ただ名前が書いてあるだけ。
それも動物コーナーで「秋田犬ハチ」です。
これではなんのことやらさっぱりわかりません。

おかしくありませんか?
ハチは、秋田犬だから剥製になっているのでもなければ、洋画で取り上げられたからでもありません。

日本人の忠義の心を体現した、その行動が人々から愛されたから、いまもその名をとどめているのです。

なぜ国立上野科学博物館は、ハチの由来を撤去したのでしょう?
なぜ、ハチは、忠犬ハチ公ではなくて、「秋田犬ハチ」なのでしょう?

日本人が日本の良い話を語り継がなくて、いったい誰が語り継ぐというのでしょうか?
忠犬ハチ公が日本の忠義の心の象徴だから、意図的な日本人の精神性への破壊工作ですか?

こんなところにまで、日本破壊の魔の手が伸びていると思うと、ぞっとします。
この現実を、渋谷の忠犬ハチ公の物語とともに、ひとりでも多くの人に知っていただけたらと思う次第です。

←引用ここまで

始めから読みたい!と仰る方はこちらから→ハチ公像が待っているもの
「ねずきちのひとりごと」様より

HACHIKO's last moments.....(japanese version)

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鍵コメさん、ご無沙汰です。^^;

私はこのお話を読んで涙しました。
亡き両親を思って、自分のふがいなさを嘆いて、、、
親が子供に与える愛こそが無償の愛だと思います。

また泣かせてしまいましたか。。。
その涙はきっとあたたかい涙だったのではないでしょうか?(微笑)

これから明るい暖かな春がやってきます。
あなたの未来が明るく希望に満ちたものになりますようにと願ってやみません。

沢山の人に愛されているあなたです。
絶対大丈夫ですよ!
いつでも応援しています。


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