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行旅死亡人

行旅死亡人

大阪に四天王寺と言うお寺があります。由緒正しきそして最も古いお寺。
ここでは「身元不明人の特別相談所」なる物が境内で開かれています。遠くから集まってくる人も多かったようですが最近はニュースでもあまり目にする事はありません。

身元不明遺体の相談所、大幅減少 HPの情報提供などで 47news様サイトより

 大阪府警が開設した身元不明遺体の確認を進める特別相談所=09年9月、大阪市天王寺区の四天王寺
 身元不明遺体の家族を捜し、確認を進める「特別相談所」を開設する都道府県警が2001年以降大幅に減少し、09年は5都府県警にとどまったことが10日、共同通信の調査で分かった。

 特別相談所は警察庁の通達を受けて1968年に全国で始まり、夏休みなどで人が集まりやすい8~9月に百貨店や駅構内などに設けられてきた。しかし、相談件数自体が減り、ホームページ(HP)での情報提供も可能になったことから警察庁は通達をやめ、01年から設置を各都道府県警の自主判断に任せていた。

 時代の流れのひとつとも言えそうだが、現場担当者からは「『年1回だから』と踏ん切りをつけて毎年訪ねてくる利用者や、インターネットを使えない高齢者が置き去りになる」と懸念する声も出ている。

 調査は昨年10月に実施し、全都道府県警から回答を得た。それによると00年に「設置した」と答えたのは42都道府県警。

 01年は23都府県警で、その後も減少傾向は続き、09年は東京の警視庁、埼玉、長野、大阪、山口の各府県警だけだった。

2010/01/10 15:57 【共同通信】諦めずもう一度

「四天王寺の歴史」

四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。 今から1400年以上も前のことです。
『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、 自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」 と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。 
「四箇院」とは「帰依渇仰 断悪修善 速証無上 大菩提所」 つまり仏法修行の道場である“敬田院”、 病者に
薬を施す“施薬院”、病気の者を収容し、病気を癒す “療病院”、身寄りのない者や年老いた者を収容する“悲田院”の四つの施仏教の根本精神の実践の場として、四天王寺を建てられたといえるでしょう。
これらの施設は、中心伽藍の北に建てられたようです。

その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」 といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。
その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な存在とされています。



かなり前になりますが、家の親戚が面倒を見ていた人が居ます。アパートに住まわせ、食事をお世話したり、教会でもあったので身寄りのない人にも同じように接していました。
その人はお酒が好きで、その為にむちゃくちゃな事を言ったりしたりするので、私はあまり好きな人ではありませんでした。お酒の好きな人は概ね素面のときは大人しく、腰が低い人が多いと思います。その人もそうでした。
お酒の力を借りると、変な力が沸いて来る様で、全くの怖い物なし!となります。警察とのイザコザ、職場での人間関係、全て酒で誤魔化してゆく、行きつくところには何も無い!

人は色々なものに慣れてゆきます。私も彼の言動が気にならなくなり、会えば話を聞きました。
水道関係の仕事で、職人だったようです。その頃は必死で働き稼ぎも良く、家族もあったことを話してくれました。
(ここでの仕事は彼にとってはとても大事な思い出だったようです。)

何が原因だったのか聞く事もありませんでしたが家を出たそうです。それから流転の生活が始まって落ちるところまで落ちたと話してくれました。空からまた酒が原因で仕事を追われ、再就職ができたものの職人さんからかけ離れた物でした。「食っていくなければならない、どんな仕事でもしなくちゃいけない、贅沢はいえない悪いのは自分だから。。。」再就職先はリサイクルセンター、実は清掃屋さん。新人さんだからお不動さんのトイレ掃除に行かなければならない、いつも新人だからと行かされる、いい年コイタおっさんが女便所の掃除、どちらもするんだそうですが、「女の神経は分からん!(怒)」と怒っていました。「汚したんだったらちょっと片付けるという気持ちがないんか!」など愚痴を聞いてあげる事もありました。

腕の良い職人だった事は酒に溺れた為に自分で不意にしてしまった事。嘆いても過去は戻っては来ない、それでも生きるためにと思い返しひたすら頑張っていました。
そんな愚痴を聞いてあげてました。その時々にお惣菜を上げたり、話を聞いたりしていく中で、彼の中で残っていたプライドが顔を持ち上げたのでしょうか、その我慢の糸が切れてしまうような事があったのだと思います。

ふと外を見るとその人が通りの向こうを歩いています。
その姿を見たときに何故か彼を見るのはこれが最後と言う予感がしました。自然に涙が零れ声をかける事さえできず、ただ遠ざかっていく姿を見送るだけでした。。。

翌日彼の死を知らされました。しかも悲惨な方法で亡くなっていたそうです。
と言うのも、リサイクルセンターの一応責任者と言うことでしたが、扱いはそうでは無かったようで、どんな機械なのか分かりませんが、機械の中に入って覚悟の死を迎えたようです。
お酒のビンが落ちていたそうです。きっと悩んで苦しんで、泣きながら別れた家族の事を思い出して、誰か助けてくれと叫んだ事でしょう!誰にもその声は届く事はありませんでした。

そして彼は『行旅死亡人』となったのです。お葬式のときに家中を探してやっと連絡先を見つけて、田舎に亡くなったことを告げると、「もう関係ありませんから、そちらのほうで好きにしてください」とのことだったそうです。
息子さんも同じ答えだったとか・・・私達もお葬式には参列させていただきました。
社長に親戚(天理教で預かってもいいと話をしたようです)が家族の話を伝えると、四天王寺さんで祭ってもらいますと仰ったそうです。うちの従業員だし、沢山仲間がいるほうが賑やかで良いからと。

数少ない親戚も引き取り拒否だったようですが、長い間連絡もなくいきなり亡くなったからと言うのは、無理があったのでしょうか?最後の事を思うとなんともいえません。。。



        ◇ーーーーー◇ーーーーー◇ーーーーー◇ーーーーー◇


<不明103歳>家族を捨て yahooニュース様より

<不明103歳>家族を捨て、地元を離れ…空白の60年
毎日新聞 9月10日(金)2時32分配信

 全国で頻発した高齢者の所在不明問題は、「長寿社会」を根底から揺さぶった。厚生労働省によると9日現在、住所登録地に所在が確認できない100歳以上の高齢者は271人に及ぶ。不明者の周辺を取材すると、多くのケースに共通する光景が浮かび上がる。家族のきずなの断絶と地域社会での孤立だ。ひそかに蓄積されてきた社会のひずみ。その生々しい現実に気づいた今、行政も地域社会もたじろいでいる。【安高晋、森禎行、神足俊輔、篠原成行】

 100歳以上の高齢者が約70人いる群馬県太田市。一連の所在不明問題が持ち上がった8月、元気おとしより課の職員が「実は一度も会えない人がいる」と上司に報告した。

 103歳の安田佐吉さん。07年3月に職員が100歳の祝い金50万円が贈られることを伝えに行くと、長男(63)が応対し「父は福島にいる」と言った。08、09年も本人には会えなかった。

 今回、市が改めて問いただすと、長男は初めて60年にも及ぶ父の不在を認めた。安田さんは終戦後間もなく、妻とまだ幼かった長男、長女(67)を自宅に置いたまま、福島市飯坂町の姉の家に移り住んだというのだ。

 その飯坂を訪ねた。松尾芭蕉も立ち寄ったといわれる川沿いの温泉街に姉の家はあった。大工の仕事が太田には少なく、安田さんは温泉宿の整備が進んでいた飯坂に仕事を求めたらしい。

 妻との折り合いも悪かった。今も太田市の実家近くに暮らす長女は「家族で笑った記憶はほとんどない」と振り返る。長女が高校に進学するころには、父は太田には寄りつかなくなった。母に「なぜ離婚しないの」と聞くと、母は「おまえたちの進学や就職に不利になるから、戸籍だけは入れておく」と言ったという。08年、母は死去。夫婦仲がこじれたわけは言わなかった。

 安田さんは姉の家に40年近く住んだ。しかし、ここもついのすみかにはならなかった。89年ごろ突然家出し、そのまま消息を絶つ。

 近くに住むおい(68)によると、85年に姉が亡くなり、めいと2人暮らしになったころから関係がぎくしゃくしたようだ。大工で稼いでいるうちは生活費を入れていたが、80歳近くになり、仕事ができなくなると、和裁をしていためいが安田さんの生活を支える形になった。「本人は今さら太田には帰れないと思ったんでしょう」と、おいは推測する。

 家出から間もなく、おいが捜索願を出す。数年後、警察から「市内でお年寄りの遺体が見つかった」と連絡があり、現場での確認を求められた。顔は判然とせず、普段、安田さんはげた履きだったのに遺体が靴を履いていたことから「おじではない」と答えた。

 こうした安田さんの消息情報は、一切太田市には伝わらなかった。市は長男を信用し、100歳の祝い金を渡した。近所にも安田さんの所在を気にかける人はいなかった。一連の不在問題発覚後、長男は祝い金を受け取ったことについて市に謝罪した。

 安田さんと仲の良かった長女には忘れられない挿話がある。73年ごろ、自身の結婚生活について手紙を書いた。「夫の両親は親切にしてくれるけど、やっぱり私の本当の両親はお父さんとお母さんです」。その手紙を、安田さんは上着のポケットに大切に入れていたと後でめいに聞いた。

 長女は「もう亡くなっているとは思う。でも、いつどこで死んだのか誰も知らないなんて不幸です。家族も踏ん切りがつかないんです」とつぶやいた。

 本人の氏名、本籍・住所地が分からず、遺体の引き取り手もない死者は「行旅死亡人」として官報に掲載される。09年の掲載は全国で756人。ここ30年、大きな変動はない。掲載後も多くは身元が判明せず、そのような遺骨は寺などにひっそりと保管される。

「行旅死亡人」 ウイキペヂァより

行旅死亡人(こうりょしぼうにん)とは飢え、寒さ、病気、もしくは自殺や他殺と推定される原因で、本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者を指すもので、行き倒れている人の身分を表す法律上の呼称でもある。


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鍵コメさんへ

こんばんは!

私も高齢者の行方知れずは考えられませんでした。
仕事がない、一緒に住んで居る家族も仕事が無かったら・・・考えられる事だと納得しました。
それよりも行政の在り方が問題だと思います。

今の遣り方ではますます空洞化が進むと思いますが、誰も自分の事ばかりで真剣に
この国の行く末を考えてくれる政治家がいないということは、寂しい限りです。

ここに書いた人も家族の事はあまり他人には話はしませんでしたが、きっと寂しかったんだと
思います。気を引くために色々な事をしたのではと、後々思いました。
もっと話を聞いて、親切にしてあげていたら、きっと亡くなる事も無かったのではないかと

四天王寺さんは沢山の人がお参りされるので、きっと寂しくないと思います。

わざわざご丁寧にありがとうございます。
私の方こそ、とっても嬉しかったです。
ありがとうございました。


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