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先人の想い

先人の想い

あと一週間で参議員選挙の投票日ですね。うちには、選挙の公示日前に投票用紙が届きました。
一瞬エッ?!と思いましたが、月が変わると投票日・・・それにしても早いなと、思いました。
公示されてから投票用紙が届いたとの声をよく聞きましたが、うちが一番早かったのではないかと想っています。


           ◆    ◆    ◆

いまだに、祖国のために死んでいった若者達をたてまつる靖国神社参拝を拒否する人達がいます。
115万体といわれる旧戦地の戦没者の遺骨収集も遅々(ちち)として進んでいません。

占領統治下にあった日本では、GHQが、日本が二度と自分達に歯向かってくるような強国にならないようにと「日本弱体化戦略」を遂行しました。

厳しい検閲や報道規制を行い、東京裁判やNHKの真相箱という番組を利用して、自分達が悪かったという「自虐史観」を日本人に刷り込みました。

中略

昔は世間の目やお天道様がブレーキ役を果たしていましたが、自由と権利が声高に叫ばれ、義務と責任を教えない戦後教育のもとでは、日本では「個人主義」が「利己主義」に変質しています。
それが、今の社会風潮になっている。

子の親殺し、親の子殺しのニュースが流れない日はありません。

命の大切さを教えていないから、男女の仲が優先し、邪魔な子供を邪険にしたり、虐待するケースが多くなっています。

日本人は、本来、そういう民族ではなかった筈です。

日本人は四季折々の季節の中で、自然と共存し、他人と共生しながら生きてきました。

大昔から、渡来するさまざまな文明文物をより分け、悪いものを排し、良いものを受け入れて我がものとしてきました。

中略

今、国旗国歌を認めない左翼勢力に乗っとられた日本は、考えようによっては歴史上、最大の国家崩壊の危機に直面しています。

日本を取り巻く国際情勢は、油断がならない状況です。

有史以来の、たった一度の敗戦でこの素晴らしい祖国を失ってはなりません。

先人に対しても申し訳ありません。

我々は覚醒(かくせい)しなければなりません。

日本を守るために日本精神、日本人魂を再生させることが今求められています。


         ◆     ◆     ◆

ある方のブログからの引用です。上手くいえませんがその通りだと思います。

泣ける2ちゃんねるより 先人の篤い思いを載せました。

軍事板 泣ける話 より 3話。

438 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/05/15(火) 02:15


全然有名な話ではないけど聞いてくれ。

オレのおじいちゃんは戦争末期、南方にいた。
国名は忘れたけど、とにかくジャングルのようなところで 衛生状態が最悪だったらしい。
当然マラリアだのコレラだのが蔓延する。
おじいちゃんの部隊も例外ではなく、バタバタと人が倒れて いったそうだ。

ただ、その頃には治療薬も開発されていて、それを飲んで命 を永らえた人も多かったらしい。
治療班に手渡されていた薬 で何人かの人が助かったそうな。
しばらくして、おじいちゃんが期せずして高熱にうなされる ようになった。病気に感染したのだ。
一方でおじいちゃんの部下の1人にも同じような症状が襲った。

二人とも薬を飲めば助かる程度のものであったらしいが、 なんとその部隊には残余薬が一つしかなかった。
部下は「あなたが飲んでください、あなたがこの部隊の指揮官ですから」
と搾り出すような声で言ったらしい。立派な部下を持ったおじいちゃんは 幸せな人間だったとおこがましいけどオレは思う。

しかしおじいちゃんはたった一言こう言ったらしい。

「貴様飲め!」

おじいちゃんはその後間もなくして死んでしまった。

この話はつい最近死んだおばあちゃんから何度も聞いた。
薬を飲んで生き残って帰国した兵隊さんはその後おばあちゃんを なにかにつけ助けてくれたらしい。
オレも一度だけお会いしたこと がある。まっすぐで立派な男だった。
おじいちゃんも素晴らしい命 を救ったものだ。

おばあちゃんの口癖は
「貴様…って、いい言葉ね…」
だった。おじいちゃんの死後、もう何十年も経つのに
毎日毎日仏壇のおじいちゃんに話し掛けていた。
そして眠ったまま死んでいった。
明治の人間はすごい。オレはいつもそう思う。



781 名前: ヤマト 投稿日: 2001/06/19(火) 01:06


長文になります。
「ホタル帰る」2001年5月28日第1刷発行
発行所 草思社 著者 赤羽礼子(旧姓 鳥浜) 石井宏 ヨリ
以下
第四五振武隊隊長、藤井一中尉は特攻出撃も終わりに近い五月二十八日、部下を率いて出撃、
還らぬ人となった。富屋を訪れたであろう藤井中尉について、トメは年長の物静かな人がいた
という以外にとくに印象がなかった。
戦後、藤井中尉にまつわる話を聞いたトメは涙が止まらなかった。

戦争が始まった頃、藤井中尉は少年飛行兵の教官に就任した。彼は自分にも厳しい人で、
戦争が激化し、かつての部下だった少年兵たちの戦死の報を聞くにつれ、
「おまえたちだけを死なせるわけにはいかん」が口癖になり、みずから特攻兵を志願した。
藤井中尉は年齢的にも若くなく、結婚してすでに二児があった。こうした年長で係累の多い
将校などの場合、特攻としては採用されないのが原則である。当然のように
藤井中尉の志願は却下された。しかし、「教え子が死んでくのに自分だけがおめおめと
生きているわけにはいかない」
という彼の信念は変わらなかった。
妻は最初は反対したが、次第に夫の固い覚悟に押し切られるかたちになった。
夫は再度却下されると、今度は血書して願書を提出した。夫の決意の固さを知った妻は、
後顧の憂いを絶つために 昭和十九年十二月十五日、近くを流れる荒川に、二人の子を道連れに投身自殺した。

自分たちが生きていては心残りとなるでしょうから、お先に行って待っています、
という遺書が残されていた。
血書の願書に妻子の自殺―藤井中尉の特攻志願は受理された。十二月二十日のことであった。

合掌

84 名前: 名無し三等兵 投稿日: 01/10/31 22:58 ID:lRuCp/+G


軍事板ピカ1評価の高い渡辺洋二さんの「飛燕」より
昭和20年初夏の飛燕の特攻隊員(学徒動員)の方の会話

Aさん「この戦争は負けるのか?」
Bさん「・・・・」
Aさん「命が惜しくて言うんじゃないが戦争に負ければ、日本が負けるって判って
るなら俺達が死んでも意味ないじゃないか・・・」
Bさん「私たちが死んでも、日本人の何人かは生き残るでしょう。その人たちを信じて
死ぬしかありません」
Aさん「そうか!そうだな。その人たちを信じて死のう・・」


この国のために戦って逝かれた先人に深い感謝の気持ちをこめて・・・。

親兄弟の為に、そしてこの国を守る為に戦ってくださった、たくさんの先人の方へ、心からの感謝の思いをこめて、お礼を言わせていただきます。

「先人たちの創り上げた国、日本」


         
           ******************

ここからは別の話になりますが、本当に人の心を打つ言葉は、力を持っています。
少し前に何度も読んだ話です。
改めてここにUPしたいと思います。

泣ける2ちゃんねるより

6 名前: £@歴史抹消主義 投稿日: 01/10/29 20:33 ID:SQO13+Nv

 多分、雑談スレで拾ってきた話!

 2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
 その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
   寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
   夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
   私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
   あんたらにわかるか?
   消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
   でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。


阪神大震災から少したったときのことのようです。
ここの市民団体と言うのは大体想像がつくと思います。
自衛隊・・・色々といわれていますが、とても大切な方たちだと思っています。
この国を誰が守ってくれるのでしょう?我々はもっと考えなければいけないときにきているようです。

最後に子供の時は母が居ないと大泣きしたものです。
特に午睡の後に目覚めて、回りに人の姿が無いとき、不安で泣き喚いていたのを覚えています。^^;
子供にとって母親とは特別な人なんでしょうね。

泣ける2ちゃんねる-お弁当-



いつの世も親と子の話は尽きないものです。
今日の日が明日に繋がりますように
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~ Comment ~

数多くの犠牲を礎に成り立つ《平和》の上に、どっかり胡坐をかいている私たち。
平和の危うさを見失っているんでしょうね。
今日に繋がる明日を疑う事も無く、感謝する事も忘れてしまっている。
日本人の《忘れてはいけない事》を封印しているのは誰なんでしょうか???
後悔しない《今日》を生きていかねばね~と・・・こ~いう記事を目にすると思うんだけど。
悲しいかな《忘れる事》ばかり上手になってしまいました。
母親が作ってくれたお弁当・・・私が虚弱体質児だったのでレバーとピーマンかホウレン草は定番でした。
・・・嫌いでね~親の苦労も知らずに残してました。
良かった~ウチの子は私みたいな《嫌な奴》じゃなくって~e-319

アマゾネスさん、こんばんは。

私が幼い頃、父親が訳も分からない子供に色々と話してくれたことがあります。
戦争についてのことでした。あまりにも小さくて何を言っていたのかも理解出来なくて
朽ち果てるような歳になって、理解することが出来ました。

私がもっと若くて、賢い子だったなら・・・もっと違った生き方をしたかもしれません。
父はそのときたった一回きりでした。ネットの普及により漠然とした考えが、間違ってなかった
ただ勘で思っていたんじゃなかったと思いました。

それも父親の言葉があったからだと思います。

先人が守り、残してくれた物を大切にしなければならないと思います。
その礎を築いてくれた先人たちに感謝して、守っていかなければならないと思っています。
これも歳のせいでしょうか?未来を思うより先に、過去が浮かんできます。。。
過去があっての未来だ、と思うからでしょうか?

私はお弁当の経験が無いんです。ビックリされるんですが、給食だったんですよ。
田舎で育っているのに、ちょっと都会的でした。

自慢しても良いくらい、好き嫌いが激しくて、好きなものを聞くほうが早いくらい・・・親って
それでも育ててくれるんですねー。
うちの息子達も私に似ないでよかったと思います。^^; 

食事の支度をしてくれる長男君、私が仕事を探さなきゃです。(苦笑)

コメントを、ありがとうございます。
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