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里親の体験談

里親の体験談

これは昨年の里親さんの体験談です。
沢山ある中で長いのですがこれを選びました。

   大きい男の子ばかりで

  【里母】

今日は自慢の「息子」と参りました。彼はうちにくるまでは色々なところを転々としていたので、
口癖は「大人は誰も信用できない。」と言う言葉でした。

初めは、私達にも心のゆとりがなく、ただただ一生懸命心配してつかれてしまい、
彼の方は、やればやるほど、親切にすればするほど逃げていってしまうし、友達からも
浮き上がっているみたいな感じでした。でもこういう子こそ見なければいけないと
思っていましたが、本当は辛く、苦しい時も多くありました。

彼と出会ったのは9歳の時です。フレンドホームとして我が家に来た時はお利口さんの
いい子かなと思いましたが、そのうち神経を逆なでするようになりました。
今でこそ彼のお蔭で肝っ玉母さんになったつもりでいますが、当時の私達は
もう見きれないと思ったし、彼も、こんな家よりもっと楽なところに行きたいと
言い出しました。ちょっと厳しい施設に行きました。

措置解除になってせいせいすると思ったのですが、逆に彼の事をいとおしいと言う気持ちが
沸いてきて、「あなたの事をほんのちょっとでも思っている人がいるんだよ」と言う事を
伝えたくてはがきを書きました。

彼からも、初めは不満そうな、定規で書いたみたいな
すごい字で『僕は元気ではありません。』って返事が来ました。
はがきをやりとりしているうちに、だんだんなんとなく字が柔らかくなってきて、
何かが行間にあらわれた感じを受けたんです。
そこの施設の教育が合っていたのかもしれないし、自分を隠さず色々な
事を出せたので自信がついたのかな、良かったなと思いました。

あるとき彼が修学旅行のお土産を送ってくれたんです。
今でも大事に持っていますがちょっと恥ずかしい文句ですが
『いつもきれいなお母さん、頑張って。』と書いてありました。

施設はうちから1時間半も離れているんですが、うちの近くの高校を
受験したので、もしかしたらもどりたいというサインかなと思って、そのころ
うちはファミリーホームをしていて丁度一人あいたので、
これはもう絶対彼しかいないというのでもう一回引き受けました。

一年間厳しい施設で暮らして我が家に戻ったらムカつくオーラが消えていたんです。
でも2、3日後にまたちょっと
トラブルをおこして、一瞬自信を失いかけたのですが、何とか頑張って逆に
結びつきが強まりました。

うちは延べ10人の子供を見ましたが、一番ど派手な事をするのがこの子で、何かする度に
振り回されて大変でしたが、その度に近づいていくと言う感じがしました。

学校に呼び出されて、先生方を前に「彼はいい子になったんです。
本当はいい子なんです。私に心を開いてくれたんです。」って
それだけしか言えずあとは馬鹿みたいに泣いた事がありました。

あれだけ嫌だと思った彼のために泣けるようになった自分を嬉しく思いました。

彼はジェットコースターの人生だと、私はよく言っています。
何かあってトコトコ上がって良くなったねというと、パーッと下がっちゃうんです。
だから学校でも色々ありました。

自転車泥棒もなんかもしましたが、小中学校の頃、根暗で
1人でいつも違う世界にいた彼が、高校では、友達と一緒につるんで
軽いノリでやっていたという事を聞いて、なんて進歩したんだろうと思いました。

他にも色んなことがありましたが、今はとにかく頑張って1人で暮らしております。

ほかに『若様』と言うあだ名の子がいます。何で若様かというと、ずっとお母さんに
虐待されていて、とにかく目立たないように、何もされないようにというんで、
自分の事を何にも表現しない、何も知らない、友達とも付き合わない、
家庭的なものは、家庭で当然教わるべきことも知らないという状態だったからです。

彼が来たのは高2の二学期でした。
最初は、メチャクチャな家庭からちょっとだけ別の養育家庭に行ったのですが、
そこではすごくきめ細かく一生懸命やって下さったらしいのですが
、里母さんがノイローゼになってしまったそうでうちに来ました。

私が養育家庭を始めたころは頭から入っていきましたが、色々経験を
して今はとにかく来たら受け止める、一緒になってハラハラドキドキする、
そういう中から何かが伝わっていくもんだと思っています。

そんな彼がこの前北海道旅行をしてきました。
それをうちでは「若様の大冒険」と呼んでおりますが、この子もだんだん男になって
きたなあと思いました。

今はとにかく毎日が修羅場ですが、でも養育家庭をやっていて良かったと思います。
彼と一回別れた時にやめていたら、いまは嫌な思い出しか残らなかっただろうし、
養育家庭を続けていなかったかもしれないと思います。
 




 【元里子】

お母さんが言っていたのはすべて認めざるを得ない事実ばかりなので、それはおいて
自分の話をさせていただきます。たしか2歳で母が先に天国に行ってしまっておやじが、
これは後で聞いた話なんですが、部屋の障子を開けたら仏壇の前で酒を飲みながら
『何で死んだんだよ、この野郎』みたいな事を言っていた記憶があります。

そんなことがあって、父の兄の所に住まわせてもらっていたのですが、そこも
駄目で、次に児童養護施設に何年かいて、Aさんのところに行って、今、お母さんが
言った通り面倒をかけてしまいました。

Aさんのところに行ってから、児童自立支援施設と言うところにも入れられて、
そこの先生に対して『改心したいんです。』みたいなことを言ったらしく、そこの
生活になじんでいくんですが、そこの生活は本当に楽しかったです。

そこを出てからAさんの近くの高校に通い、また面倒を見てもらうのですが、
いろいろあって、高校を首になってしまって、本当に自分は何もしてないと
思うのですが、通信に、入るのにお母さんを本当になかしてしまってたのを、
今でもすみません、って思います。一応高校3年生まで行き、進学、就職の時に、
これは自分の死んだ父の話ですが、高校を卒業して、バイクか車の整備の方に行って、
そのあと、大工で飯を食べていたというのを聞いて、「ああ、そうなんだ。
じゃあ俺にもできるかな。」と思ったこともあり、車やバイクがすきだったので
整備士のほうを受験して、合格しました。

話は変わりますが、養育家庭、児童養護施設、自立支援施設ファミリーホームで
暮らした経験から子供にとって大切なのは何かなと思ったら、
やっぱり親の愛情だと思います。

Aさん所に来ている子は高校生とか、少し大きい子ばっかりですが、思うのは、
『若様』もそうだけど、タッパはあるくせに、なんでこんなに子供みたい
なんだろうって感じています。笑うのもなんかうめいているような感じです。
そんな子でも色々連れまわすと笑えるようになるんで、それは本当に
良かったと思います。

ほかにもこれは、悪口になっちゃうんですけど、『デブちゃん』と言われて
いる子がいるんですが、やっぱりしゃべり方も、なんでかわからないんですけど
自分が不利になると牛さんになちゃうんです。「もう」って。
本当は怒っているんだろうなと思うんですが、今はそういうことが、
少なくなってきて、自分で話ができるようになりました。

また別の高校3年生は一番の期待の星です。
ちょっと障害を持っている子で、その子も親といろいろあったようですが、
お母さんがつくってくれた弁当を持っていって、一緒に働いているセンター長や
社員の方に見せて、「ごはんをつくってもらったんですよ。」と言っていた事が
あったそうです。その話を聞いて、いつもある特定の人に感謝していたり、
色々な意味を感じているんだなということがわかって、当時の自分と比較すると
「ああ、こいつすごいな。」って思いました。
めちゃくちゃな話になってしまいましたが、これで終わります。
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