チベット仏教の教え。

ダライ・ラマの記者会見を見ました。
両手を合わせて頭を下げる姿はとても身近に感じました。
なんだか日本のお父さんって感じでした。
今彼について色々言われていますが同じ国にすんでいない
ということも理由のひとつにあるのではないでしょうか?

指導力はやはり離れていては行き届かぬことも多いのでは
ないかと思います。
それでも指導者としてご本人も大変な思いをしてらっしゃると
おもいます。

チベットといえば「死者の書」を思い浮かべる方も
いらっしゃるのではないでしょうか?

チベットの「死者の書」はインドの初期の仏教からの物ではなく
チベットの独自のものであると言われています。

何故ダライ・ラマは両手を合わせて人の前に立つのでしょうか?
チベットの人たちは胸元で両手を合わせるのは心の(悪い考え、感情)
の浄化をするそうです。

無垢な気持ちで人に接するという事になるんでしょうか。

少し前にあるお寺にお参りをしたことがあるんですが賽銭箱に
賽銭を投げ入れ手を合わせて(何も考えてなかったんですけど)
住職さんがいらっしゃって「口元で両の手をあわせるということは叶えると
いう形になります。両の手は十本の指があります。
口に十で叶えるという事になりますよ。」と言われました。

”叶うと信じて願うから”だそうです。
昨日ダライ・ラマの会見を見てこの話を思い出しました。

因みに喉元に手を合わせる場合は口(嘘、悪口などの)罪や
穢れを浄化するそうです。

私はいっぱい浄化する必要があるようです。
ついつい愚痴やらボヤキをしてしまいますので。

昨日テレビを見ていてこの話を思い出しました。

口元にではなくて喉元にですね。(笑)
南無(?)  (−人ー)
テーマ: 思うこと -  ジャンル: 学問・文化・芸術
by シェイドオブペール  at 14:12 |  未分類 |  comment (4)  |  trackback (0)  |  page top ↑
Comments

こんばんは☆

観ました!!すごいですよね※
教えを説かれるかたは場所や形にとらわれない影響力を持たれるのですね!
感謝したりゆるすことで救われると耳にしたことがありますが、色々な教えに結びつきそうです。
by Rem 2008/04/11 20:39  URL [ 編集 ]

こんばんは、Remさん。

ご覧になりました。
すごいですよね。
指導者とは大変だと思います。

Remさんの仰るとおりですね。
感謝と許すことで功徳を積んで来世につなげていくんですよね。
彼らの死生観は我々と違うものがあります。

見習う面も沢山ありますね。
チベットの人々の願いが叶えられますように。(−人ー)

by シェイド 2008/04/11 23:39  URL [ 編集 ]

No title

どんな事象も、立場変われば敵にも味方にもなります。
どちらも「自分が正しい」と信じているから。
傍から見たらそれがどんなに間違っている事でも。。。
信じる力、願う力。
少しでもいい方向に向かっていって欲しいですね。

「いい方向」とは??
と問われると、困ってしまいますがe-454e-330

住職さまのいいお話が聞けてよかったです♪
心がほわっと暖かくなりましたe-446
by くまくぅ 2008/04/13 01:18  URL [ 編集 ]

くまくぅさんへ

おはようございます。

「いい方向。」・・・ほんとむずかしいですよね。

抑圧されることは誰も望まないので
お互いを認め合うということが大切なのかも
しれませんね。

私は喉元に両手を合わせなければなりません。
忘れなければいいのですが・・・。(笑)
by シェイド 2008/04/13 09:12  URL [ 編集 ]
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